未空父&母がネパールで感じた真の豊かさとは?
昨日、未空父&母がネパール旅行から、無事に帰って来た。今回は未空母のネパール
の元外交官だった古い友人が、3年がかりで5F建てのマンションを建て、その新居に
遊びに行くのが目的だった。使用人はコックを含め6~7人おり、友人夫妻は何もしな
いというセレブな生活を送っているらしい。
未空父はしみじみと、「ネパールは貧しく素朴な国で、鼻たれ小僧を見てると、本当に
子供が子供らしく、目がイキイキしてるなぁ。でも、そんな子供達が幼い妹や弟をおん
ぶしながら、お金をねだる姿は、終戦当時の日本を思い出した。それに比べて、日本
の子供達はあまりに恵まれすぎて、感謝しなきゃいけないと思う」と語っていた。
「もう2度と行きたくない?」と聞くと、「いや、また行ってもいい」と言う。これは私に
とって、未空父の超意外な反応だった。
NHKの番組で、ある小説家が「少年達が殺人をした後、普段通りの生活をしていた事
の方が不気味な感じがします」。ある脚本家は、「日本は生産社会から消費社会に
なったのが、発端のような気がします」と言っていたのが印象的だった。
生産社会というのは、言わば自然から直接、労働によって原料・食料を生産する社会で、
第1次産業(農業・林業・水産業など)が当てはまる。例えば、お米や野菜を育てるには、
時間と労力がかかり、昨日種を蒔いて、今日収穫はできない。どんな土地にどんな種を、
いつ蒔くのか? 日光はどれくらい必要なのか? 水分はどれくらい与えるのか?etc.
今とは比べものにならないほど、毎日の生活の中で、色々な事を考え、工夫しながら
暮らしていた日本人。国が豊かになり、いつの間にか、第3次産業(サービス業)が
社会の中心になると、消費社会に移行していく。
私は以前、五穀豊穣のお祭りと聞いても、ピンとこなかった。なぜなら、食べ物は作る
のではなく、買うものという認識に、どっぷり浸かっていたからだ。スーパーに行けば、
何でも揃っている。動物を殺生する事なく、肉が食べられる。パックの中の肉片には、
小さい頃から見慣れているせいか、さほど残酷という気持ちも生まれない。天気を
心配する事もなく、収穫の季節を喜ぶ事もなく・・・
この脚本家は、「少年達の残虐な行為は、日本の消費社会の、その延長線上に生ま
れたのではないか?」という考え方だった。私にはとても新鮮な目線で、それが全て
とは言わないまでも、確かに関連性はあるだろうなぁと思えた。
ネパールの子供と日本の子供。真の豊かさとは一体、何だろう?
スリランカの市場で見たスパイスは、こんな形で売られていた。種類も豊富で楽しいよね。