続・未空父&母がネパールで感じた真の豊かさとは?

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何もかもが便利になってくると、考えない生活になる。全てがピッという動作だけで
済んでしまうからだ。未空家のお風呂が、まさにそのタイプで、「41度って、どれく
らいの熱さなんだろ?」と確かめる事もなく、温度は自動的に41度となる。

またSUICAやパスネットのような便利なカードを持つと、どこからどこまでがいくら?
といった、電車の運賃の書かれている路線地図を見なくなる。昔はそれを見ながら、
谷中ってウチから、下の方に行くんだ?といったような、幼稚ではあるけれども、
幼稚は幼稚なりのレベルで、学んでいたような気がした。思えば、そういう機会が
どんどん奪われているのだ。

今の時代、意識して五感を鍛えないと、本当にマヒしてしまう(泣)。

例えば最近は、ほとんどMailで、手紙を書けなくなっている自分がいる。私が3年間
発行していたメルマガ「空庵だより」も、紙ベースでは全く書けなかった。何でもPCに
頼ってばかりで、これじゃぁいけないと思いつつ、ますます事態は悪化するばかり(泣)。
7年前までは、自宅にPCがなかったので、フツーに手書きで便箋に書いていたはず。
時には何枚も・・・

あの頃の自分は、今より思考の整理能力に長けていたんだろうか? 豊かだった
んだろうか? PCは超便利だし、旅行の下調べも予約も、全てNetで行っている。
わざわざ本屋に出かけて、旅行の本を見る事もなくなった。

でも、何かを得るという事は、何かを失う事でもある。全てお手軽方面に向かっ
てる自分が、どこか薄っぺらくて、文明の利器、便利etc.という名の元に、大切
な何かを失いかけてるような気がしてならない。

じゃぁ、PC使うのやめれば? それも極論だ。あまりに非現実的だしね。自分の
何から、どこから手をつければいいのかわからないが、やはり人間が動物である
以上、与えられた五感+六感をフル活用したい。そして不便であっても、できる
だけ体感して、ピッピッという生活に拮抗する時があってもいい、と天邪鬼未空
は思った(笑)。

いや、待てよ。便利、不便をその時に応じて選べる事こそが、ゼータクの極み=
豊かさの象徴かもしれない。私なりの真の豊かさを求め、試行錯誤は続く・・・
20051226
水晶でできた仏様が、右側の小さなお厨子の中にいらっしゃる。仏歯寺はスリランカ一の聖地だ。ここに来れた事は本当に幸せであり、心から有り難いと思う。

ナマ拳、その他のスケジュールはこちら

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