見解
ずっと昔、あるいは今となってはそう思えるあの頃、
まだ私が今の私になる以前のこと、
自分が乾いた小さなカップだと心に描き、
縁まで満たされたいと熱望していた時、
私は人生についての答えを熱心に求めた。
私よりも高みにいると思った師たちから、
自分のものではなかった翼を試し、
風がやって来て私を持ち上げてくれるのを願った。
新しい本、古い本と、私は本を読みふけった。
儀式も訪れては去っていき、
護符の力もやがて心を冷たくさせる。
そして天から来たものは何もないようだった。
答えは内にあるのだ、友よ、
答えは内にある。
山はそれを保持できない。
師はそれを所有できない。
答えは内にある。
ある朝、私は自ら作り上げた世界と相争い、
涙に暮れて鏡の前に立つ。
しかし突然、私を見つめ返すその顔に、
飢えも、恐れも何もないことに気がついた。
その瞬間、輝くほどにはっきりと、
私の人生が集めた叡知のすべてを見た。
生徒には準備ができていた。師はここにいた。
それはまったく予期せぬ方法で。
私たちは無知と至福の間で生のバランスをとり、
神聖な叡智が私たちを見つけてくれるよう祈る。
そして最大の罪は、自らの内に
神が住むと知って生きることへの恐れなのだ。
だから私は山もいらない。本も翼も。
そして私を救う人もいらない。
そうだ、私に必要なすべてのことは、ただ内にあるすべての答えを要求すること。
そしてはっきりと、勇気を持って、それに従うこと。
答えは内にあるのだ、友よ。
答えは内にある。
/マイケル・B・プットナム&キャサリン・ウィルソン
♪今日のお散歩 どーりでにぎやかだと思ったら、楽しそうだよね。うーん、イイなぁイイなぁ。私も乗せて~。