オタク
東儀秀樹展に行って以来、My陰陽師ブームPart.2がやってきたと思いきや、こんな
うれしい写Mailを頂いた。「未空様、お久しぶりです。お元気ですか。下界の様子
はだんだん春めいてきましたね。そんな中で、冬に逆戻りしたかと思われるような
寒い日に、那智の滝まで行って来ました。念願の。おーーー素晴らしかったです。
来て良かった。滝の水量は想像よりも少なく(まあ季節が季節だからかも)、これ
なら晴明は結構、簡単に修行できたのではないかと。熊野那智大社のヤタガラス
君もしっかり携帯に収めて来ました。便利になったもんだ。それじゃご報告まで。
ブログ快調ですね。良かった良かった」。どうもありがとうございます。那智の滝
見ましたよ。Congratulations! 苦節数ヶ月? ついにやりましたね、ううっ(涙)。
今、私の国内で一番行きたい所、それは熊野の修験本宗総本山・金峯山寺(きんぷ
せんじ)。天正20年(1592年)の蔵王堂再建以来、秘仏として国宝蔵王堂の奥深く
400余年に渡り鎮座する、日本最大の秘仏本尊・金剛蔵王権現三体(重要文化財)
が見たい×100(笑)。もう大迫力なんだどぉ(←この表現はいかがなものか)。
6/30までの限定公開なんだよね。私の行きたい所を空庵のどなたかが先回りして
くれてると、それだけで半分行った気になる単純な私。さ~て来週のサザエさんは~
じゃなくって、オタッキー未空の好奇心が♪止~まらない(ドラムを叩きながら in
コンビニ(笑))。ココから先は、読みたい人だけ読んでおくんなまし。
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陰陽師・安倍晴明が活躍していた平安時代。彼は当時の国家公務員だが、さほど
位は高くなく、今でいうノンキャリぐらいのイメージらしい。映画「陰陽師」の中で
は帝と直接話をしているが、そこまでは偉くなかったようだ。当時のキャリア組
だったのが「宿曜師(すくようし)」と呼ばれる僧侶で、源氏物語桐壺にも、光源氏
が誕生した際、宿曜師にその運命を占わせる場面が出てくる。これは陰陽師は
道教系であり、仏教系の宿曜師の方がより権力の中枢にいた点が上げられるのでは?
敵に打ち勝つ法としての代表的「宿曜術」の使い手としては、徳川家康を助けた
天海僧正(てんかいそうじょう)が上げられる。天海僧正は宿曜術の持つあまり
に恐ろしい威力のため、三・九の秘法などの奥義部分を、門外不出として止めた
人物でもあるそうな。以後、悪用を防ぐため秘中の秘として、後継者を選んだ
一子相伝で、しかも口伝により伝えられる事になったんだと。
そもそも、山伏として知られる修験道(しゅげんどう)って何? 日本古来の山岳
信仰に、神道や外来思想の仏教・道教などが混合して成立した、我が国独特の民族
宗教であると位置づけられているが、その中心は実践性にある。修行得験や実修実験
などと表現されるように、深山幽谷に分け入って、命がけの修行をし、霊力・験力
(げんりき:ききめ。仏道や修験道を修行して得た功徳の力)を開発する道といえる。
修験道の開祖として尊崇される役行者(えんのぎょうじゃ)に、「修行は難苦を
もって第一とす。身の苦によって心乱れざれば、証果自ずから至る」という聖句
が伝えられているが、修験道は自ら修して、自らその験(ため)しを得るところ
に真髄がある。修するとは、役行者の教えの道を修するのであり、験しを得ると
は、単に験力や神仏の加護を獲得するではなく、究極は自らの心の高まり(菩提心)
を得る事に他ならない。自らの身体でもってそれぞれに体験し、その精神を高めて
いくというあり方は、ある種、万人に向いた親切な教えであるといえるだろう。
加えて、役行者は終生を在家のまま通された事から、「役優婆塞(えんのうばそく)」
と呼ばれるが、修験道は開祖の遺風に拠って、在家主義を貫いている。優婆塞(うば
そく)とは、在家の信仰者という意味。つまり真俗一貫、在家の生活を守ったまま、
仏道に叶う生き方を見つけていく。自らを高めていく。ここに修験道の真骨頂がある。
最後に、修験道開祖・役小角(えんのおづぬ)とは? 日本の正史「続日本紀」に
よると、役行者は634年(舒明天皇6年)、御所市茅原で誕生。名は小角(おづぬ)
といい、幼少の頃より葛城山で修行する等、山林修行や苦行の末、金峯山にて金剛
蔵王大権現を感得され、修験道の基礎を開かれたと伝えられている。やがて修行の
高まりと共に、強固な精神力と煩悩を克服した境地に達し、呪術家としての名声は
天下に鳴り響いた。
699年(文武天皇3年)、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の謗言によって
伊豆大島に流罪になり、701年(大宝元年)無罪がわかり、許されて都に戻られた。
同年6月7日68歳で、箕面の天井ヶ岳にて入寂されたと伝えられているが、異説も
多く「昇天した」「母を鉄鉢に乗せて、海を渡って入唐した」等、多くの伝説が残さ
れている。その尊像の多くは、折伏(しゃくぶく:悪人・悪法をくじき、屈服させる事。
破邪)した2匹の鬼(前鬼・後鬼)を従えた仙人風の姿で祀られている。1100年忌
に当たる1799年(寛政11年)に光格天皇より、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)
の諡号(しごう:生前の行いを尊び、死後に贈られる称号。おくりな)が贈られた。
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大変お疲れ様でした。最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。
ベベンベンベンっとな(笑)