ジンザイ
自分が「人財」か「人材」かによって、差が出る。年収の高低を生んでいる要因を考える時、
このような雇用者側の環境要因は、実は副次的なものである。根本は、やはり「自分自身」
に起因するのではないだろうか? 自分の能力を需要の高い状態にしておけば、どんな業種、
職種に就こうとも、おのずと納得のいく年収で、雇用される可能性が高くなる。ここでわかり
やすい例として、ダイヤモンドという商材を考えよう。ダイヤモンドはその硬さゆえに、価値を
持っているが、よくよく見れば、そこには2つの価値側面がある。つまり、大粒で純度の高い
ダイヤは、宝石として高額で取引される一方、小粒で混じり物があるダイヤは、研磨材として
安い価格で、多量に取引される。前者は、財(たから)としての価値だが、後者は材料として
の価値しかない。財としてのダイヤは希少であり、時間が経っても価値は衰えない。だが、
研磨材としてのダイヤは、量が豊富で安価であり、古くなれば新しいものに取り替えられる
運命にある。これは、一人一人のビジネスパーソンにも当てはまる。他人では、代替のきか
ない能力を発揮するヒトは「人財」であり、高い市場価値で企業に求められる。一方、他人と
代替がきく平凡な能力のヒトは「人材」であり、企業が判断する市場価値でしか受け入れて
もらえない。また、そのまま歳をとれば、若いヒトに取って代わられる危険性もある。確かに
20代や30代前半で、高い年収を得ている人達はいるし、逆に年収の低い状態にいる人達も
いる。しかし、それはたまたま職を得た会社環境による外部要因で、そうした年収差がつい
たのかもしれない。短期の現象で、一喜一憂しても始まらない。中長期で見れば、自分自身
を「人材」から「人財」に変えていく事で、やがてあなたを納得のいく年収額で採用してくれる
企業と出会えるはずである。年収の差を中長期で決定づけるのは、自分が他と代替のきか
ない「タレント」になるのか、それとも代替のきいてしまう「働き手」に陥るのか、その「ジン
ザイリョク」の差とも言える。
/「career vitamin ワーキングレポート」より
今日の人質 彼らは本当に殺されてしまうのか? ボランティアは自己選択・自己責任なのか? この戦争の行方は? 様々な問題を投げかける。