虹
幼い頃、虹まで歩いてみようと、弟と2人テクテク出かけた事がある。すぐそばに、
すごく大きな虹が、手に取るように見えたからだ。子供の目からは、田んぼを5枚
くらい越えた隣村の手前くらいに、それがあるように見えた。虹は隣村まで歩いた
所で消えた。虹はなかったのだろうか? 少し成長して、虹は雨上がりの水滴に、
太陽光が反射して見えるものである事を学んだ。夏に庭先に出て、兄弟で水遊び
をしながら弟に、虹はなぜできるのかを教えてあげた。ホースの先を少し絞って、
天に向けて水しぶきを上げる。目の前に大きな虹が現れる。弟は虹を手に取ろう
とするが、それを掴み取る事はできない。虹はないのだろうか? まだ若かった父
は大笑いして、虹まで出かけて行っても、虹はないのだと教えてくれた。20代の頃、
経営者になる事に、ずいぶん憧れていた。資産は何もなかったし、ノウハウもなか
った。あったのは、夢だけだった。虹色の夢。街を歩き、店の看板を見ては憧れた。
車窓から誰か、専門家の看板を見ては憧れた。結婚したてで、生まれたばかりの
長男がいた。一人、虹を見ていた。紆余曲折を経て、県都中心に近い所に、事務所
を得ている。それなりに収入を得、それなりに仕事をし、それなりに立場を得るに
至った。毎日毎日クルクルと忙しく、毎日毎日次なる目標を見つめ、あくせく頑張っ
ている自分という現実がいる。ここに見えるのは、約束された虹ではなく、「今ここ」
という現実である。虹は見えない。しかし、明らかに、そして確かに、ここには虹は
ある。あの日、憧れた虹。まだ、今ほど成長していなかったあの時に見えた虹。あの
時の目になって、もう一度見つめ直せば、確かに在る。今、ここからは見えないだけ
なのだ。遠い日から、ここを見つめている自分には、今の僕は確かに、虹の真下に
立っているように見えるだろう。僕はここに立っているぞ。僕からは、まるで見えないが、
君からは見えるはずだ。子供達に、虹はないなどと教えてはいけない。確かにそこに、
虹はあるのだ。雨上がりの水滴に、太陽の光がキラキラと反射して、色はついていない
かもしれないが、それは確かに、虹の真下なのであるとわかる事が大切なのだ。見え
る事だけが存在ではない。今の自分の価値を喜んで受け入れ、“Over the rainbow!”
虹を越えて行こう!
/山本 正樹(経営コンサルタント・株式会社 理想経営代表)
♪今日の切り裂きジャック 友人の職場でタイヤがパンクさせられたり、コートが切られたりetc. 犯人は一体、誰なのか? ストレス社会の闇を知る。