文恵
午前中、S先生から携帯にMailがきた。「太極拳の水曜クラスは、人数はセーフ
だったので、来期も存続O.Kでした」との事。良かった。本当に良かった。やっぱ
天は、我に味方してくれたんだ(号泣)。このクラスは誰にも潰されましぇ~ん!
絶対に存続意義があるんだよ。そう思いつつも、このところ太極拳に対して、ずい
ぶんとぞんざいな姿勢だったなぁと反省もした。かなり自分がダレていたのは事実
だからだ。「本当にお前は、太極拳を続ける気があるのか?」と、天から喉元めが
けて、刃を突きつけられたような気がした。S先生の「文恵」という名前は、決して
偶然ではなく「踏み絵」でもあるんだなぁと思った。同じ音は、やっぱ親戚関係なん
だよ。太極拳はずっと続けたい。かといって、先生は誰でもいい訳ではないという
事実を、改めて思い知った。私はS先生に習いたいのだ。師は志であり、支(支え)
であり、資(資源)であり、視(視野)であり、太極拳ではズバリ、肢(からだ)でも
ある。一歩間違えれば、死にもなるのだ(泣)。生意気な言い方で恐縮だが、師匠
の選択は慎重にしなければならない。これを間違えれば、その後の人生が180度
変わる事だって有り得る。反面教師は、百害あって一利なし! こうなりたいと
仰いで師に接するのと、絶対こうはなりたくないと思いながら会うのでは、3年先、
5年先、10年先・・・と考えると、そら恐ろしい。私は師には恵まれているので、
余計にそう思う。それも最初から、その道の技術に優れているのはもちろんの事、
人間的にも尊敬できる師に巡り会えている。もし、この人に出会わなかったら?
そう考えただけで、今でも身の毛がよだつ。文恵は踏み絵。太極拳を初心に帰り、
もう一度、真剣に習おうと思う。そして、S先生のようになりたいと心から思う。
♪今日の「なぜ6は聖なる数字なのか?」 三位一体の倍とも言われているが、6は1、2、3、6で割れる。6を6で割り切れるのは当たり前なので、除外すると、1+2+3=6になるので、これこそが完全数。6は一番小さいパーフェクトナンバーなのだ!