変革

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僕は、超能力をやめます。僕は今まで、順番を間違えてきたんです。超能力を先に見せてしまうと、

人はその力に引かれます。この力は本当に純粋なもので、その力そのものは、善であったり、悪で

あったりするわけではありません。お金にも、似ているかもしれませんね。お金そのものは、本来、

紙であるのに、それには力があるようです。その力そのものは、善であたったり、悪であったりする

わけではありません。セックスにしてもそうですね。それを使用する人、それをコントロールする人

によって、その力が善なのか、悪になってしまうのかが決まってしまいます。子供の頃から、超能力

を始めた事で、そのシンプルな思いは、今でも変わる事がありません。お金を儲けるために、超能力

をやるのではなく、人がその力に興味を持ってくれて、自分に集まってくれる事が、何よりうれしい

わけです。でも、その力は本当は、みんなの奥底に隠されている力で、僕個人のものではありません。

僕個人のものといえば、この身体であって、この29年間、超能力者をやってきた清田益章という存在

です。僕は28才から31才の間、酒だけではなく、ドラッグにおぼれた事があります。「スピード」と

いうドラッグで、「覚せい剤」とも言われています。口から吸引して、その効果を楽しむのです。

スプーン曲げを披露し、その力のみに頼っていた僕は、自分自身に人が寄って来ているのか、スプーン

曲げに興味を寄せている人なのか、わからなくなってしまったんです。孤独感を感じていました。多く

の人が、僕の所にやって来ましたが、その人が目的としているものが、はっきりとわからないのです。

僕はドラッグという手段を使って、現実から逃げたのです。ドラッグをしようすると、スプーンが曲が

りませんでした。その頃、普通の力でスプーンを曲げていたんです。やがて真実ではなく、妄想に包ま

れます。「本当は、僕が超能力者ではなく、僕以外の人は、みんな超能力者で、全てを知っているんじゃ

ないか?」親にも連絡をして、そんな事を言いました。親は「お前、何か変なドラッグをやってないか?」

「やっぱり、そうじゃないか? みんな、見えているんだ!」次の日、親と北千住の神経科の病院に行き

ましたが定休日で、その病院の紹介で、竹ノ塚の神経科の病院に行く事にしました。病院が差し出す紙に、

自分の症状や薬の事を書き、提出します。やがて、先生がやって来て、診察室に通されます。外来者の

書いた紙を見て、先生は「清田さんって、“超能力者”の清田さんですよね。僕は防衛医大で、清田さんの

実験に携っていたK先生の助手(あるいは生徒さんだったと思います)の~です」「覚せい剤ですか? とり

あえず、尿検査をしてから、カウンセリングを致します」トイレに行き、黄色く濁った尿を紙コップに入れ、

それを看護婦さんに預けました。尿検査の結果が出るまで、先生と話をします。ドラッグの事、また、その

症状、全て嘘なく明らかにします。ドラッグの入手について以外は、全てを明らかにしました。間もなくして、

尿検査の結果が出てきました。「清田さん、覚せい剤ですよね」「はい、間違いないです。白い粗目状の物で」

「おかしいですね。この結果では、清田さんが覚せい剤をやっていたという陽性反応は出ていなんですよ。

まあ、仮に出ていたとしても、警察に対する報告義務は、全て医師の判断で決定できますので、僕がそれは

しないとしても、この結果では報告も何も、清田さんは覚せい剤をやっていたと現実はないという事になって

しまうんです。清田さんのお話を聞いていても、特別に病状が悪いというよりも、お話は至って冷静で、お父

様の話をなされる時に、少し興奮をなされるぐらいですから。この検査結果では、清田さんは少し肝臓の機能

の低下が見られますが、覚せい剤反応はありません」僕は何かを感じていましたが、当時の昨日までやって

いた薬の影響で、それを感じる事ができません。僕の心では、この先生は神経科なので、そう言って僕の心を

落ち着かせているんだと思ったのです。でも、僕の心は自分のことを話す事によって、落ち着きを取り戻して

いました。検査結果が出る頃は、もうすでに、落ち着いていたのです。その後、僕はある有名なバンドのミュー

ジシャンと一緒に、6年ほど前、一緒にやらないと決めたものに手を出しました。そして、彼は人生を大きく変え

てしまいました。僕のせいです。ドラッグという遊びによって、心を弄ぶと、僕自身が僕でなくなります。僕は、

超能力者を続けてきた事で、精神的には強力な何かを得る事ができましたが、そうでない人は、そのドラッグの

力に飲みこまれていきました。前妻、何人かの友人、そしてその弟のようなミュージシャン。全て僕と一緒に人間

が作り出した科学成分で、心を狂わせてしまったのです。自分以外の人が、皆超能力者だと妄想?を抱いてく数

時間前、僕はもう一つの妄想を見ていました。それは、このホームページの本文にも書いてある(はず?)の31才

の時の臨死体験のようなものです。「僕達は生かされている。そして任されている」「みんな、キヨタを待ってるよ。

もう、準備はできつつあるよ」何のための準備か、僕はその時、感じる事ができませんでした。それは、ドラッグに

よって、自分が麻痺していたからでしょう。今から25時間ほど前、18日の早朝、東京の妻から連絡が入りました。

僕をドラッグから救ってくれた女の人です。10年前「この間、テレビに出ていた時、何か体の具合でも悪いのかなぁ

と思って、これ持って来たよ」玄米の小さなおにぎりでした。身体に沁みわたりました。薬を打ち消すような力が、

その中にはありました。それを人は、愛というのかもしれません。純粋な綺麗な力です。でも、それを人は目で見る

事ができないと信じています。愛は見えるんです。自然の中には、たくさんの愛が見えるんです。太陽と土(養分)と

水と空気だけで育っていく動植物は、神様からの愛の証です。動物達は愛を疑う事なく、その愛を作り出す自然の

中で生きています。大きなストレスはなく、ただ、今を生きる事が、彼らの仕事です。僕はここでは、酒もいりません。

ドラッグもいりません。それは、全て虚を作り出すものです。東京では、酒がないと生きてはいけないような感じに

なってしまいます。ドラッグはやめられても、酒浸りの毎日。僕は多くの人を傷つけて、その事を気がつかずに、毎日

が通り過ぎていくのを待っていたようです。死ぬまで、その生活を続けるのは、僕にはできません。僕には、何かを

しなくてはいけない感じが、ずっとしていました。それは、スプーン折りなどの超能力ではないのです。人が人らしく、

相手に見返りを求めずに、相手を想ったり、相手のために祈ったり、僕と一緒にそうしていこうと、僕が中心でなく、

みんなが円(縁)に加わり、心の手をつなぎ、みんなが持っている小さな力を集め、それを循環させていく事が、僕の

本当の仕事だと感じてしまいました。それには、もう超能力はやめたいんです。それによって、人が集まり、僕自身、

その超能力者でいる事で、自分に寄って来てくれている人が、その力だけに引き付けられているのか、僕に引き付けら

れているのか、どれが本当で、嘘なのかわからなくなってしまったんです。確かな事は、超能力をやる時は、1日の内の

ほんのわずかです。僕でいるのは、ずっとなんです。僕は、僕のこの心そのもので、本当の仕事がしたいんです。僕は今、

ある事をします。祈りです。クタで事件がありました。僕の友人が、その鎮魂のために、クタから歩きました。その鎮魂

は形だけのものでした。それによって、僕の周りには様々な事が起こり、僕は今、息子と2人でBaliにいます。形だけの

鎮魂は、僕のそばでやると、遺恨を残す事になってしまいました。怒り、憎悪、悲しみ・・・ 僕はクタには行かない

つもりでしたが、今、身を清め、その準備をしています。そこには純粋な人が集まるでしょう。いつ行うかは、僕の心が

決めます。多分、4月2日のニュピ(バリの新年)が明けてからか、東京に戻る6日までの間だと思います。でも、祈る時期

や場所は関係ありません。本当に純粋な人に集まってもらいますので、カメラや記録は厳禁とします。僕はまだ、準備は

できていません。まだ、心の中に揺れを感じるからです。時間はいずれ、その時と感じたら、皆さんにもお伝えするつもり

です。僕が鎮魂を行うのではなく、みんなで祈るのです。場所はどこでも構いません。心で感じた事をすればいいのです。

見返りを求めず、ただ祈るだけです。豊かな心は、そうした純粋な想いで、育まれていきます。僕がまだ、どこか綺麗事を

しようと感じている間は、それを行いません。僕の心が、まだ何かによって揺れ動かされる時は、それを行いません。僕は

自分に約束をしただけで、みなさんとはしていません。僕一人で祈るのか、みんなで祈るのか? 僕の心は、みんなで祈り

たいと感じています。多くの祈りは、念よりも純粋で、力が強く、穏やかです。そして、それは奇跡を生むでしょう。まず、

心の中から変化が出るでしょう。やがて、形になって現れてきます。それは、時間がかかるのですが、必ず形になるのです。

円(縁)の力は、小さな力が寄り集まって、動き出せば、それはそれは大きな力となるんです。祈ること、そのものが幸せと

感じるはずです。祈りませんか? ただひたすら、家族が穏やかに暮らせるのを、無理をせずに祈るのです。心の世界はつ

ながっています。祈りは通じます。通じるかどうかなどと感じているのは、祈る事をやめ、お金を崇める社会に生きているから

です。祈りは通じるのです。僕達は、本当は大きな家族です。家族の家族、そのまた家族、そのまたまた家族が、本当はつな

がっています。確認せずとも、僕たちがつながっているのが、この世界です。でも、僕達は、その家族の無事すら、祈る事が

できずに、自分の幸せだけを求める社会にしてしまいました。それはお金という、人間が人間のために作った偶像を崇めて

いるからです。そのシステムは、やがて崩れるでしょう。今は、そのシステムを作った人が、何とか食い止めようとバカな事を、

こんな時代でもやろうとしています。ほんの一握りに、人間達がこの世界を支配しています。その力は、金です。そのシス

テムは、自然に崩れるでしょう。そうしないと、人は豊かにはなれないからです。お金を持っても、豊かだと感じられていない

人が多いのが、その証拠です。本当の神様は、紙幣ではなく、僕達の心の奥底にいます。誰の心の奥底にいます。その神様は、

いつも祈っているのかもしれません。その祈りの結果が、自然だと感じています。僕達は、間違いを犯しています。墓穴を掘っ

ています。自分達のミステイクを隠そうとしています。それは、心が弱いからです。人は誰でも、ミステイクを犯します。それを

罰する神様はいません。罰するのは人間です。ミステイクを隠すのは、大変です。虚の世界は生まれます。そこで、人はもが

いているように、僕は感じています。そろそろ、ミステイクに気がつき、自分ができる事をすれば良いのです。嘘は隠し通せま

せん。自分の奥底にある神様が見ているからです。嘘は自分をダメにします。この社会は、嘘で塗り固められています。そこから

脱するのは、今、自分の心で思っている事を、純粋に何の見返りも求めず、ゆっくりとやる事です。僕は念ずるのではなく、祈ろ

うと想います。僕の仕事は、宗教団体を作って、金儲けをするのではないです。ここで僕と一緒に、自然に触れてもらい、自分の

奥底にある力を感じてほしいのです。だから、僕は超能力をやめにします。僕は人が来ようが、来てくれまいが、ここで祈り、

心のナビゲーターをしていくつもりです。お金の事を考えなくても良くなったら、「リアル・マジカル・メディテーション」は、無料に

しようと感じています。それまでは、ツアーガイドとして、許して下さい。

/清田 益章

♪今日のラララ~ン♪ 餃子が食べたいなぁと思ってたら、夕飯が餃子だった(笑)。お見舞いMailが届いて、シアワセだと思った。どうもありがとう!

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