試練
ある中高年のクライエントが事務所に訪れた。後輩に先を越されて、部長になれなかったのだと言う。
自分はというと、営業課長として転属。以前から、妻には「次は俺が本社の部長だよ」と言い続けて
きた手前、なかなか打ち明ける事ができない。妻は、自分が部長になる日を楽しみにしていると言う。
どのように切り出そうかと、2時間あまりも悩みを吐露していた。切ない男心である。やがて、気持ち
に区切りがついたのか、言葉が見つかったのか、彼は帰って妻と話をしてみると言い残して、事務所
を後にした。後日談であるが、妻の返事は「良かったわあ」である。妻も部長になってほしいと思って
いるというのは、彼の価値観に合わせた言葉であった。忙しい部長になるよりも、家庭を大切にする
今のままの夫が、彼女の望む姿だったのである。一方、夫はというと、今まで出世にこだわってきた
のは、全て妻に良いところを見せたいという一心から出たことだったという。案外、そんな事も世の中
には多いのかもしれない。価値観とは、一人一人違うものなのである。ようやく、人生の目標らしき
ものを感じ始めていた20代の終わり頃のこと。やたらやる気があって、生意気だった。同じ事務所で
働くアシスタントの女性に、飲んだ席で詰め寄った。「いつもアシスト業務ばかりやって、人生に何か
目標はないのか?」と。彼女は、答えに困っていた。「いいわねえ、目標がある人は。でも、世の中、
あなたみたいな人ばかりじゃないのよ」。規模の大きな夢を描かない人は、ちっぽけな人物なのだと、
その時まで思っていた。いわゆる人生の大成功を描かない人は、人生をムダに生きている人のよう
に思えていた。なぜ、そのように考えていたのか、今となっては不思議である。彼女は、しばらく自分
の考えを整理していたのだろう。首を何度か縦に振ってから話した。「私はね、私のボスに成功して
もらうのがうれしいのよ。おかしい?」。おかしくなかった。少し嫉妬を感じていた。あれから10年あ
まりが過ぎ、彼女は30代の後半に差し掛かった。末端組織の営業アシスタントをやっていた彼女は、
全社数値を管理するブレインになっている。「あなたに影響された」と何年か前に言っていた。営業
をやっていた頃、部長には毎日叱られた。叱られ始めると、1時間は部長席から離れられなかった。
内線番号313。内線ディスプレイにこの番号が写ると、気が遠くなった。大嫌いだった。売上が上が
らなければ叱られた。その理由をいつまでも聞かれた。はっきり、売上を作るプランができるまで、
許してくれなかった。高額受注が成功しても、その利益率を責められた。高利益で受注しても、その
回収条件で責められた。回収できなければ、少額でも責められた。そんな部長の転勤が決まった。
お礼を言うこともなく、送別会をする事もなく、部長は去った。ずるずると売上が落ち始めた。
部全体の調和がおかしくなってきた。ある課長が、不況の影響だと言った。違う。部長がいない
からだ。部長がいた時以上の苦しい毎日がやってきた。年賀状がきた。小さくて右肩下がりの、
特徴のある字。「結婚おめでとう」と書いてあった。はっきりわかった。あの時にこそ、成長して
いたのだ。パートで働いている部長の奥さんに会いに行った。「素敵な部長でした」と伝えた。
/山本 正樹(経営コンサルタント・株式会社 理想経営代表)
♪今日の悟り♪ 悩んで悩んで強くなる。迷って迷って強くなる。みんな、同じなんだ。自分を、技を磨こう!