全てに意味がある、というのは、実は落とし穴かも
精神世界やスピリチュアル系の本を読むと、大抵、
「起こる事は必然で、全てに意味がある」
と書かれていますよね。確かにその通りなのですが、
この「意味がある」の部分にあまりにこだわったり、
とらわれすぎたりすると、ネガティブ・スパイラルに
どんどんハマっていくんですよね。うんうん。
朝、会社に行こうと、家のドアを開けたら、なぜか
そこには、デカい石がドーンとあったとさ(笑)。
「えっ、コレって何? 何でここにあるの? 何か意味
がある?」とガン見したところで、そのデカい石が
「私、こういう者でして」とか、答えてくれるはず
もなく(笑)。何より、ジャマな訳です。
デカい石の存在の意味を考える前に、忙しい朝なら、
サッサとどかして、会社に行きませう。ちなみに、
これ、クライアントの方の実話です。
何か起きる度、「意味があるのでは?」とそこで思考
停止になると、先に進めなくなる時もあったりして。
これはある意味、スピリチュアル系の弊害ともいえ
ますよね。物事はシンプル・イズ・ベスト。
というより、ベスト・イズ・シンプル。
「Why?×100」で答えが出る事なら良いのですが、
「何で?」が繰り返されると、
「これって、誰がやったの? 有り得ないでしょ」的な
感じで、自分の意識が外に向かい、収拾がつかなくなる
可能性も出てきますよね。
ドアの前のデカい石は、その典型。「ったく、何とか
しろよっ」「ざけんな」「ムカつく」など、その分、
イライラも長続きしちゃいますもん。
そこで、「Why?」から、サッサと「How?」に切り
替えるんです。このサッサというのがポイントで、
「Why?」は3秒もあれば、十分だと思うんですよね。
1、2、3、で浮かばなかったら、「How?」に切り替えて、
「Do」に移す。つまり、「Do=行動」ですね。
つまり、「何が起こっているか?」を見極め、次に
「何が可能か?」を考えて、
「イマデキ=今、自分にできる事」をやる。
これは問題全般において、「Why?」な出来事を目の前
に置くとジャマになるので、ちょっと脇に置く感覚で
しょうか。そうすれば、とりあえず先に進めますよね。
思考停止=行動停止=解決不能になる前に、
「自分のコントロールできる事に、200%集中する」
と自分自身にコミットメントする。
なぜかといえば、起こった事は変わらないし、
元に戻せない。そして、他人はコントロールできない
からなんですね。
「Why?」は3秒まで。その後は、サッサと「How?」
に切り替え、「Do」=イマデキをやる。
「起こる事は必然で、全てに意味がある」という事に、
こだわりすぎない思考グセ。そして、今わからなくても、
いずれわかる時がくるなら、それまでのお楽しみ、
くらいの感覚で♪ これだと、かなり楽チンですよね。