掃除をする広さと深さが、その人の人格に比例する
イエローハット創業者・鍵山秀三郎氏の言葉は、
どれも深い。
それを実感したのは、あの大雪の日。まさに
「雪かきをする広さと深さが、
その人の人格に比例する」
千葉出張からNO混雑、
NOストレスで帰って来た私は、
ズリズリとスーツケースを引っ張りながら、
ったく雪道は歩きづらいなぁ、
とぶつくさ言っていた。
そして、すぐに空庵事務所に暖房を入れ、
ホッとしていた頃、外からは
「ザザっ、ザザザザー」
と雪かきをする音が聞こえていた。
どこの誰かは知らないが、地域のために、
そこに住む人のために、寒空の中、
ひたすら雪かきをする人がいる。
誰に頼まれた訳でもなく、
公に表彰される訳でもなく、
面と向かって感謝される訳でもなく、
それでも雪かきをする人がいる。
こういう人間力の高い人こそが、
貴重な「人財=パワーパーソン」
なんだと思う。
そして、思い出したのが鍵山氏の言葉だった。
私が掃除をするといえば、
部屋の中とベランダぐらいで、
それ以上に広げた事はない。
つまり、器もその程度だし、
人格もそれに比例する。
公の場所を掃除したり、
雪かきをしている人って、
本当に偉いなぁと尊敬してしまう。
雪が降ったら、
家でぬくぬくと過ごすと決めている私と、
雪が降ったら、
公道も雪かきしようと考える人と、
そもそも「基準」が違うんだよね。
何を当たり前とするのか、
「基準」がその人を創っている。
どういう「基準」を持っているかが、
その人の人格であり、
雪かきのように義務でやらなくてもいい事を、
どれだけできるかという事が、
人格に比例している。
つまり、基準=人格。
みんなが私と同じ「基準」だったら、
雪道は雪道のまんまで、
ったく歩きづらいったら、
ありゃしないとブー垂れてるだけだ。
高い「基準」を持っている人のおかげで、
私は雪かきされた道を歩く事ができた。
これこそが人間力の差だね。改めて
「雪かきをする広さと深さが、
その人の人格に比例する」
巣鴨の顔も、
名前も知らない「基準」の高い方々、
寒い中大変お疲れ様でした。
ありがとうございましたm(_ _)m