これからはスプーン曲げより、 スプーン「〇〇」の方が価値がある
その昔、私がスプーン曲げをやる時は、
決まって自分を信じきれていない時だった。
とても不安で、何か重い影が心に巣食ってる時、
といってもいい。
不安だからこそ、目に見える形で確かめたい。
で、何を?
そう、「私はいつだって大丈夫。
やればできる子なんだから」
という自己確信を、事もあろうに
「食器」に求めてしまったのだ。
当時の私には、たかがスプーン曲げ、
されどスプーン曲げ。
だが、毎回、成功する事もあり、
すると今度は、で?だから何?
と自分で自分に、
ツッコミを入れるようになった(笑)。
自己啓発セミナーなどでは、
お決まりのパフォーマンスだが、
よくよく考えてみれば、
器物破損以外の何ものでもない。
私の元にご縁あって、きてくれたスプーン。
そのお役目を果たしたい
「カレ(←勝手に(笑))」からすれば、
気分次第で曲げられるは、
その後は使い物にならなくされるは、
超メーワク極まりない。
私がスプーンの立場だったら、
ガチでキレるよ(-_-メ)
こんな器量の狭い持ち主に、
オレの大切なスプーン人生(?)
を台無しにされたぜ。
やってらんねーぜ、って(笑)。
今度、生まれ変わったら、
大事にしてくれる持ち主の所に行きたいと、
切に願うだろう。
何だか、スプーンから鬼クレーム、
キターーーーーーっみたいに思えて、
それ以降、曲げるのをやめてしまった。
きっと全国にいるんだろうなぁ。
抹殺される哀れなスプーンたち。
よーく考えてみれば、元の状態に戻せる、
スプーン「直し」の自己啓発のヒトって、
見た事ないんだけど。
私を含めた、器物破損者ばっか。
ソレって、自己啓発じゃなくって、
自己軽薄なんじゃん、単に。
曲がったスプーンを直す方が、
めちゃくちゃムズカシイし、
何より世の中の役に立つ。
そんな神業的な気功をしてくれる人がいたら、
そっちの方がよっぽど、
自己啓発になる気がしません?
私だったら、弟子入りしたいもん(笑)。
だからね、
もう単なる「器物破損者」には戻らない。
さぁ、「カレ」と一緒に、
美味しいロイヤルミルクティーでも作ろう♪( ´θ`)ノ