愛人さんとじーちゃんヒーラーに捧ぐ“福の神・仙台四郎”前篇

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仙台四郎という人物をご存知だろうか。私は初めて聞いた名前だった
のだが、1855年頃から1902年頃の江戸末期から明治時代にかけて、
現在の宮城県仙台市に実在した人物だ。

知的障害でほとんど話す事ができなかったが、四郎が訪れる店は繁盛
するとして、各地でもてなされた。いわば、歩く座敷わらしだ。彼の死後、
商売繁盛のご利益がある福の神として、その写真が飾られるようになった。

フリー百科事典「Wikipedia(ウィキペディア)」によれば、仙台四郎は
仙台藩の城下町仙台に、鉄砲鍛冶職人の家の4男として生まれたとさ
れる。火の見櫓(やぐら)のそばに生家があったため、「櫓下(やぐらした)
四郎」とも呼ばれた。

彼の知的障害には2つの説があり、生まれつきという説と、そうではなく、
7歳の時、花火見物中に誤って広瀬川に転落して、溺れて意識不明
となり、それが元で知的障害となったという説。

言葉は「バアヤン」などとしか話せなかったそうである。その後、四郎は
気ままに市中を歩き回るようになり、行く先々で食べ物や金品をもらった
りしていたが、人に危害を及ぼす事はなく、愛嬌のある風貌をしていた
ので、おおむね誰からも好かれた。

子供が好きで、いつも機嫌よく笑っていたという。「四郎馬鹿(シロバカ)」
などと陰口を叩かれる事もあったが、不思議と彼が立ち寄る店は繁盛し、
人が集まるようになったため、「福の神」などと呼ばれて、どこでも無料
でもてなされたとされるが、実際には家人が後に支払いに回っていた
事もあった。

店にしてみれば、どんなに高額な飲食でも、必ず後で代金を支払って
もらえる上客、と解釈できる存在であったという側面もある。

つづくーっ

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