一人でも応援してくれる人がいれば
萩本欽一氏の心に響く言葉より
東洋劇場に入って3ヶ月目に、
恩人の緑川士郎先生に呼ばれて、こう言われたんだ。
「あのねぇ、欽ちゃん。
3ヶ月経っても、全くコメディアンの感じがしてこない。
このままこの仕事をやってると、えらい事になってしまうかも。
だからね、今のうちに、辞めた方がいいんじゃないかな。
ハッキリ言って欽ちゃんは、コメディアンには向いていないと思う」
聞きながら、胸をグサリと刺されるような感じがしたな。
でもね、言われている通りなんだよ。
舞台に出ても、あがってしまって、セリフも言えない。
踊りはダメ、笑いもできないの、ないない尽しなんだからね。
「わかりました。
自分でも無理のような気がします。
今月いっぱいで、辞める事にします」
思わずそう、口にしていたな。
先生の前から下がって、2階の誰もいない楽屋に行き、
短い間だったけれど、お世話になりましたって、
誰に言うともなく、頭を下げていた。
胸の中が空っぽで、息をするのもうまくできない。
「どうしたんだよ、キン坊。何をしょげているんだ?」
ふと気づくと、すぐ側に、池信一師匠が立っていた。
「すいません、辞める事になりました。
さっき、演出家の先生に、“コメディアンには向いていないから、
辞めた方がいい”って言われて、はい、
わかりましたって返事しちゃったんです」
「えっ!? 3ヶ月しかやらないで、もう結論を出したのか?
お前自身の気持ちはどうなんだ?
やりたいのか、やりたくないのか?」
「できたらもうちょっと・・・
もう少しやってみてから、決めたいと思うんですけど」
「そうか、本当はお前、まだ辞めたくないんだな?」
「・・・ええ」
「よし、ここで待ってろよ!」
師匠はそう言って、パーッとどこかに走って行き、
5分もしないうちに戻って来て、
「キン坊、続けてろ!」
そう言って、すぐにいなくなっちゃった。
なぜ辞めなくてもいい事になったのか、後で緑川先生が教えてくれたな。
「お前の師匠が来て言ったよ。
あいつは不器用で気が小さいし、面白くもないし、才能もないかもしれない。
けれど、いまどき、あんなにいい返事をする子はいない。
あの返事だけで、ここにおいてやってくれってな」
「はいーっ!」っていう返事は、高校時代のアルバイト先で身についたんだ。
「ラーメン一丁」
「はいーっ!」
「出前頼むよー」
「はいーっ!」
ってね。
何でも、一生懸命やっておくもんだね。
苦労がどんな所で、役に立つかわからない。
師匠の話をしてくれた後、緑川先生はこう言ってくれたんだ。
「この世界で大事なのは、うまい下手じゃない。
お前のようなダメな奴を、辞めさせないでと言ってくれる人が
いることが大事なんだ。
一人でも応援してくれる人がいれば、やっていける。
ずっとやってろ。一生、辞めるんじゃないぞ!」
涙が止まらなかった。
心の底から泣けちゃったな。
「欽ちゃんの ダメをやって運をつかもう(DHC文化事業部刊)」より
全ての人に否定されたとしても、たった一人、認めてくれる人がいるだけで、
その人間は夢を捨てずに、頑張る事ができる。
発明王のエジソンも、小学校では全く認められず、ついには落第したが、
たった一人、その母親だけが彼の才能を認め、伸ばしてくれた。
幕末の英雄、坂本龍馬も寺子屋では落第生で、字もロクに書けず、
寝小便ばかりして、メソメソ泣いていたというが、たった一人、
母親代わりの乙女姉さんが、その才能を認め、教育もしたからこそ、
歴史に名を残す風雲児となった。
欽ちゃんがコメディアンになるきっかけを与えてくれたのも、
欽ちゃんを初めて認めてくれた中学校の先生だったという。
どんなにダメな人間でも、何か一ついい所があれば、
それを認め、誉め、そして応援する。
年長者やリーダーが、最も心がけなければならない資質が、これだ。
逆境や苦難の時こそ、誰かの良き応援者でありたい。
/hiro-san
ブログ「人の心に灯をともす」より抜粋、引用
http://ameblo.jp/hiroo117/entry-11279033802.html
横浜別院の野毛山不動尊に初めて行った。大本山は成田山新勝寺、ご本尊の不動明王は、徳川家の秘蔵仏だそうな。不動明王は密教の根本尊である大日如来の化身で、私の護り神だ。野毛山不動尊では、中に入って、すぐ近くでお参りする事ができる。梵名「アチャラ・ナータ」の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を表し、全体としては「揺るぎなき守護者」という意味になる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも、力ずくで救うために、忿怒(ふんど)のお姿をしている。