赤坂の草分け的存在「赤坂不動尊」
ホワイトサカスを後にして、フラフラ歩いていると、赤坂不動尊が
見えてきた。そういえばここは以前、夜遅くに通ったのでお参り
ができなかったが、ずっと気になっていたのだ。
通りから坂道を登って辿り着いた赤坂不動尊は、1600年(慶長
5年)から続く赤坂の草分け的存在で、伝教大師ゆかりの不動
明王がいらっしゃる。
パンフレットによれば805年(延暦24年)、伝教大師が唐より
帰国の途中、暴風雨のため、船が沈みそうになり、御自作の
不動明王を海に沈めて祈願し、無事帰国した。
その後、858年(天安2年)、越後出雲崎の漁夫が不漁続き
の時、毎夜不思議な光を見て、探したところ、海中から大師
がお沈めになった不動明王が現れ、大切にお祀りした。
1063年(永承6年)、源頼義が戦勝を祈願し、霊験を感じて
下総米沢に御尊像をお迎えし、鎌倉時代には1274年(文永
11年)、執権北条時宗が文永の役に戦勝祈願し、寺運大い
に興隆した。
1600年(慶長5年)、住僧良台は本尊の夢のお告げによって、
武蔵一継(一ツ木)の地に寺を移転。江戸時代に入り、紀州
大納言の祈願寺となり、広く人々に信仰され、大いに栄えた。
人々はその威徳を尊び、「智剣山 威徳寺(ちけんざん いとくじ)」
と呼ぶようになり、現在も内陣には紀州家奉納の厨子や仏具
などがある。以来、江戸の火災や大震災、戦災などの幾度の
災禍を免れた霊験あらたかなお不動様で、伝教大師作の本尊・
不動明王像は、関東大震災や東京大空襲の難も逃れた内陣
に安置されている。
私の行く先々には、必ず神仏が待っていて下さる。これは昔
からで、本当に有り難いと思う。深謝、合掌。