巣鴨散歩 with 未空父
とげぬき地蔵通り商店街にある「ときわ食堂」で、未空父&母と食事を
した。来週末、大正大学に行く事になったので、何気に「大正大学って、
西巣鴨にあるんだよね?」と聞いてみると・・・
「そうよ。都電の庚申塚駅を超えて、更にずっと先」「そんなに遠いの?」
「そんなに大した距離じゃないけど、巣鴨からは遠いわよ」「ふーん。
庚申塚駅まではお散歩した事があるけど、その先は行った事ないん
だよね」「それなら行ってみるか?」という流れになり、未空母は用事
があったので、都電で先に帰った。
未空父と2人、てくてく巣鴨の町を歩く。こんな経験は初めてかも。
まだまだ古い家屋が残っており、昭和の匂いというより、戦前の
匂いが漂っている。取り壊していない古いアパートも多い。まるで
三丁目の夕日の世界だ。
明治通りに出ると、ほどなく大正大学は見つかり、これなら空庵
の事務所から歩いて来られると思った。すると未空父が、「お前、
お岩さんのお墓に行った事あるか?」「ないけど、お岩さんって
四谷怪談のでしょ? 巣鴨にあるの?」「遠山の金さんのお墓も、
巣鴨にあるんだぞ」「知らなーい」「それなら行ってみるか」「うん、
行きた~い♪」とゆーコトで思いがけず、ちい散歩 in 巣鴨(笑)。
実は、未空父は散歩の達人で、毎日、色々な所に出かけている。
チャリンコの時は、お台場まで往復するというプチ・アスリートな
ヒトなのだ! そのため、道にはめっぽう詳しい。
しばらく歩いていると、「お岩さん通り」というのがあり、未空父は
「ほら、見てみろ。お岩さんって書いてあるだろ」「ホントだ。有名
なんだね」「でも、まずは金さんからだな」という事で、中山道を
青果市場方面に向かう。雨が降った後なので、風が気持ちイイ。
遠山の金さんって実在の人物で、若気の至りでズミ(=刺青)
ってたらしいんだよね(笑)。アノ有名な「桜吹雪」の彫り物は、
「右腕のみ」「左腕に花模様」「桜の花びら1枚だけ」「全身くま
なく」など諸説ある。
金さんの眠るお墓は、「法華宗別院 徳栄山 總持院 本妙寺
(ほっけしゅうべついん とくえいざん そうじいん ほんみょうじ)」
1571(元亀2)年に創建され、1911(明治44)年に本郷より移転。
境内の墓地には、刺青で有名な遠山左衛門尉景元(金四郎)以外
にも、北辰一刀流の千葉周作、囲碁家元本因坊歴代のお墓などが
あり、本堂の裏手には「明暦(めいれき)の大火」の供養塔がある。
1657(明暦3)年、正月18日、病死した娘の供養に燃やした振袖
の火が、本妙寺の本堂に燃え移り、更に燃え広がり、江戸城本丸
を含む江戸市中のほとんどを焼き尽した。通称「振袖火事」だ。
ちなみに遠山の金さんは長年、痔を患ってたんだって。馬での登城
が非常に困難となり、幕府に対して駕籠(かご)での登城の許可を
申請して、受理された文書が残っているんだと。
金さんの身分では、駕籠での登城は許されていなかったため、疾病
を理由に申請したらしい。今の時代なら、電車通勤ができなくなって、
タクシー通勤になったようなもんでしょ。金さん、良かったね。めでたし
めでたし。これにて、一件落着(笑)
巣鴨名物「ときわ食堂」では、本日のお薦め「カツオ刺身定食」を食べた。1杯目のご飯のお代わりは無料。スタッフのバッチには、出身地が書かれていて、常連さんとの話もはずむ。不況なんてどこ吹く風だ。お酒の飲めない私は、居酒屋が苦手なんだよね。だって、全部ツマミなんだもん。やっぱ夜ご飯は、定食が最幸! こういう食事をしていると、心身共に落ち着く。私の元気の源だね。