日産コンツェルン創始者・鮎川義介
渋沢栄一は知っていたが、鮎川義介(よしすけ)という名前は初めて
聞いた。日産コンツェルンは、日本の財閥で15大財閥の一つだそうで、
鮎川財閥ともいうらしい。
鮎川義介は1880年(明治13年)、明治の元勲・井上馨の姪を母とし、
旧長州藩士・鮎川弥八(第10代当主)を父として、山口県氷川郡
(現・山口県山口市)に生まれた。
旧制山口高等学校を経て、1903年(明治36年)に、東京帝国大学
工科大学機械科を卒業。芝浦製作所に入社。身分を明かさない
条件で、日給48銭の職工となる。
その後、当時の技術は全て西欧の模倣であったので、西欧の状況
を体験すべく渡米。約1年強を可鍛鋳鉄工場(グルド・カプラー社)で、
労務者として働く。
1909年に戸畑鋳物(現・日立金属)を設立。1928年に久原鉱業
(現・日産自動車)の社長に就任し、この会社を持ち株会社に変更し、
傘下に日産自動車、日本鉱業、日立製作所などを収め、日産コン
ツェルンを形成した。
後年は中小企業の育成に注力し、150以上の会社を設立し、日本
におけるベンチャーキャピタルの先駆けだそうな。日本テレビもそう
なんだって!
ここまでの実績がありながら、鮎川義介って、ほとんど知られて
ないんじゃん・・・って、私が無知なだけ(笑)?
6/4は「Manabi’s College・景氣経営學」の説明会という事で、
鮎川財閥のコンサルタント・徳山暉純先生のレクチャーがあった。
聴けば聴くほど、やっぱ日本人って優秀で、オリジナリティーが
あって、スゴいんだなぁと実感。元々、日本人に生まれて良か
ったと思っている私だが、右翼チックに更に拍車がかかった
感じだね(笑)。
特に干支の「子」「丑」「寅」・・・は全て象形文字から生まれ、
元々の字は「孳」「紐」「演」・・・という話が興味深く、ググって
みたら、こんなサイトに行き着いた。インターネットに感謝だね。
http://doshingaku.com/eto.html
真剣に学んだら、何でも奥が深いと思う。たかが、と呼べる
ものなんて、実はこの世に存在しないんじゃないかな。
全ては、されど。
徳山先生、貴重なお話をありがとうございました!
品川の「Manabi’s College・景氣経営學」の後、新宿で友人と待ち合わせして、家電量販店へ。「PCは見るだけで、買う予定なかったんだけど」と言っていた友人が、おにーさんの見事な接客により、タイムサービスのPCを買う事に。だって絶対にお買い得だもん! ホント安くなるのね。「見かけた時が、揃え時」by 巣鴨マルジ(赤パンツの元祖)です(笑)。その後、世界堂経由で、ティータイムは「追分だんご」本舗へ。奥の甘味処には初めて入ったんだけど、やっぱここは定番の「お団子セット」でしょ。上品なお味で、ほっこりまったり。幸せな気分だわ♪