「神頼み」はもう古い。これからは「神〇〇」主義

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「僕を出世させて下さい!」と願い、夢が叶って出世して幹部になったのに、
会社ぐるみの政治家へのヤミ献金が発覚して、幹部として記者会見では、
矢面に立たされてしまった時には、「出世しない方が良かった」となるのです。

子供をあの学校に合格させて下さいと祈って、その志望校に合格したのに、
その学校でイジメにあって、その子供が自殺でもしたら、次の瞬間に「不合格
になって、落ちたら良かったのに」となるかもしれない。

小さなお願いも、そうです。

電車に乗り遅れて、神様に「間に合いますように!」と祈って、その電車が電鉄
史上最悪の脱線事故を起こしたら、間に合わなければ、良かったのにとなる。

「あの人と別れたくない」と神様に祈ったのに、願い叶わず別れても、後に、
もっとステキな恋人に出会ったら、あの人と別れて良かったとなる。

人間の「神頼み」は予測ができないし、当てにはならない。

僕に「禅」を教えてくれた先生は、「神様に下駄を預けるように」と教える。

「どう転んでも、一時的に失敗したように見えても、後で幸せになれるように、
神様に全てをゆだねます。ヨロシクお願いします」

これを「神ゲタ主義」というそうです。

だから、今は不幸でも、これも後に幸せを感じるための前段階と感じられると、
悲しみの中にも希望が生まれます。

だから、神様に下駄を預けて信じましょう。

きっと、全てが後にうまくいくための神様の演出なんだと・・・そうです。
聖書にも、こう書いていましたっけ。

信じる者は救われると?????

お後が、よろしいようで!

/衛藤 信之(心理カウンセラー)
 ブログ「日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき」より抜粋、引用
 http://ameblo.jp/n-etoh/

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