無縁社会じゃなくって、「無援」社会
だってさぁ・・・って、昨日の続きね。たとえ結婚してたって、夫婦が同時
に死ぬって、事故死か天災、もしくは心中ぐらいでしょ(笑)。つまり、ほと
んどの人が死ぬ時は一人なんだよね=孤独死。
問題は「孤立死」で、無縁社会ではなく、「無援」社会なんだと思う。これ
だけ独身が増えてるんだから、これからの時代は血縁というより、「結縁」
重視。一人で死ぬのは、しゃーないよね。ただ、後々に降りかかってくる
様々な問題のためにも、48時間以内=ウジ虫などがわいてくる前に(笑)、
できるだけ早く発見してもらうような人間関係を築いておく。または手配
しておく。これは生きている間にしておいた方がイイよね、ってコト。
人生を「死」の側から眺めてみると、残された貴重な「生」の時間をいかに
使うか、何に使うか。自分はそのために今、何ができるのか、何がしたい
のかなどが、より鮮明になってくると思う。
そのためにも、自分の魂の喜ぶ事をするのが何よりの「自分孝行」でしょ。
人生で今日が一番若い日。悔いなく全てやり尽して、ニッコリ笑ってアチラ
の世界へ(笑)。毎日、美味しく楽しく気持ち良く、ねっ♪
たとえ配偶者がいなくても、家族がいなくなっても、「応援」があれば生きていける。孤独はみんな平等だが、「孤立」は自分の生き方次第なのでは? インドの詩人・タゴールは「人は孤立すると、自己を見失う。即ち、人間は広い人間関係の中に、自らのより大きく、より真実な自己を見出すのである」と言っている。無援社会から「有援(ゆうえん)」社会へ。友援、優援、勇援、結援、湧援、雄援、誘援、遊援・・・漢字変換の中には、いつもヒントが隠されている。同じ音霊(おとだま)は親戚関係だからね。色々な「援」があったら、超ココロ強いじゃん。空庵でもできる事を探し出し、どんどん実行していきたいと思う。