島袋勉さん「義足の足は長めに作って、身長を高くしよう」
どこで名前を聞いたか忘れたが、その存在だけは知っていた。だが、この
島袋勉さんの足がなぜ失われたのか、そしてそのポジティブさが、ここ
まで筋金入りとは知らなかった。私の想像をはるかに超えている。
この人間力の高さは、どこで培われたのだろう。これを教えてくれたのは、
軌保博光改め、てんつくマン http://www.tentsuku.com/club/profile.html
が発行しているメルマガ「感動無き続く人生に興味なし」だった。あまり
に感動したので、以下に引用させて頂く。
“島袋さんは、6年前に踏み切りで転倒して、
頭を打って、その場で意識をなくした。
そこにやってきた電車は、島袋さんの両足のひざ下を轢いて行った。
病院で意識を取り戻した島袋さんは、
自分の両足がない事に気づいた。
今、島袋さんは会社を経営しながら、
学校などで「夢をあきらめない」っていう講演をしている。
「事故からどうやって、気持ちを切り替えたんですか?」って
聞いたら、「事故する前の自分と、事故した後の自分はそんなに変わってない」
なくなった足を見た時に、逆にこれからできる事を考えたという。
その時、島袋さんが考えたのが、
「義足の足は長めに作って、身長を高くしよう」
だったそうだ。
は? びっくりした。
なんというポジティブ。
そんな明るい島袋さんが、
義足の足と、日本の杖を使いながら富士山を登る。
そして、その姿を小学生や中学生が見ながら、
「僕らも頑張る」って一緒に登る。
また、その小さな体で登る姿をお父さんやお母さんが見ながら、
一緒に頂上に向かって登る。
島袋さんは本当にたくさんの人に支えながら、
足の痛みに耐えながら、笑顔を絶やさず登って行った。
(中略)
ゴールした島袋さんはこう言った。
「後、何時間で登れるとか、後、残りどれくらいなんだろうって考えず、
とにかく、一歩だけを見て行ったって、一歩進めば、ゴールに一歩近づく。
だから、一歩一歩だけを考えて登ったって」
(中略)
島袋さんの話を聞きながら、
そうだ、一歩だ。
目の前に起こる形という変化にとらわれず、
自分が優しい気持ちである事と共に、
今、やれる事をやる。
全てはやるかやらないか、あきらめるかあきらめないか。
否定されたら笑って、燃えてさらにいこう”
自分の両足がない事に気づいた時点で、私だったら自殺を考えた
かもしれない。「何で? どうして? こんな事になったの? 私が
一体、何をしたっていうの?」といった視点にだけフォーカスし、
「足がないんだ。もう2度と歩けないんだ。走れないんだ。世の中
終わりだ」と絶望しまくり、間違っても「義足の足は長めに作って、
身長を高くしよう」という発想にはいきつかない。
こんな苛酷な状況の中で、どうしてこんなに強くいられるのか。
うまくいってる時は、人間は何もわからない。うまくいかない
時にこそ、その人間の価値が問われ、真の強さが試される。
朝青龍然り。
なくなった足を見た時に、逆にこれからできる事を考えたという
島袋さん。スゴいなぁ。これこそ人間力だ! 心から尊敬する。
そこで、思い出した話がある。
♪じもてぃー某施設の第2弾、今度はスリッパのキモチだぁ(笑)