ニコライ堂のアナスターシャ
ニコライ堂の敷地内には写真を撮ったり、スケッチしている人がいた。
聖堂に入るとすぐ、献金箱があり、ここに300円入れると、いかにも
体型がロシア人という係の女性(←勝手に「アナスターシャ」と命名。
以後、アナと呼ぶ(笑))が、黄色い蝋燭と説明書を渡してくれる。
本当は月曜は公開日ではないらしいが、今日は特別だという。はは
~ん、やっぱこれは神様が招いてくれたんだね。だって、全て予想
外だったんだもん。お導きに感謝だわ。
建物の両脇にはステンドグラスがあり、献火台のイコンは天使ガブリ
エルだろうか。乳香の匂いが独特だ。
もらったパンフレットには、「各地域の教会は、国を主な単位として、
信仰と精神性と伝統を共有し、相互に独立と自主性を認め合いつつ、
温和な連携を保っている」とある。日曜のミサには100人以上の
信者が集まるそうな。
聖堂の中のロープより先は、信者以外は入れないのだが、みんな
美術館感覚で奥まで入って行ってしまう。ある意味、拝観料を払っ
た以上、奥まで行って、じっくり見てみたいのは人情だろうが、
聖堂は美術館ではない。あくまで祈りの場なのだ!
ロープ越えをした非信者を、その都度アナがやんわり追い出しに
かかる。私はその様子をベンチで座って見ていたのだが、いつも
のクセで足を組んだところ、アナに注意されてしまった。
「私はクリスチャンなのに、なぜ中に入れないんだ?」とクレーム
を言うじーちゃんが現れたが、「同じクリスチャンといっても、やはり
違いますから」とアナは一歩も引かず。
こういうやりとりを見たら、イエスはどう思うのだろうか?
ニコライ堂のアナは自らの職務にあくまで忠実であり、何ら非難され
るような事はしていない。だが、非暴力主義を唱えたマハトマ・ガン
ジーは、「私はヒンドゥー教徒で、イスラム教徒で、キリスト教徒で、
ユダヤ教徒だ」と言い、マザー・テレサは、「全ての人は愛し、愛さ
れるために創られました。ヒンドゥー、ムスリム、ユダヤ教徒、キリ
スト教徒、人種や宗教の別なく、男性も女性も子供も神の子なの
です」と言った。ここに大きなヒントがあるように思う。
アナには午後のミサの誘いを受けたが、丁重にお断りして、私は
今度こそ千代田線・新御茶ノ水駅を目指した。
向かうは、産土神社だ。今日は神様づいてるなぁ。ニコライ堂の
アナスターシャを始め、全ての偶然・・・ではなく、必然に感謝する。
♪待ちに待った大切な物がインドから届き、郵送する物ではないとの事で、自由が丘まで取りに行く事になった。カーナビの画面は、ビルがニョキニョキ生えてくるは、ドライバーズビューなんて、もうゲーム感覚で楽しめちゃう。文明の利器に感動の嵐で、いやー、カーナビって本当にイイもんですね。