デモ医者

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時代劇でよく聞く貨幣単位「両」は、現在のお金に換算すると、
一両10~20万円ぐらいだった。時代によっても違うらしいが、
江戸時代末期の滝沢馬琴の年収は、人気作家にもかかわ
らず40両(約400万円)で、蘭方医の杉田玄白はその10倍
以上、400~600両を軽~く稼いでいた!

何が高いって、今も昔もお薬代。江戸には想像以上に多くの
医者が開業していて、1万2~3000人ぐらいいたらしい。彼ら
の多くはお金にしか目のない「売薬師」で、患者が他の医者
に診てもらうのを邪魔する一方で、同業者と申し合わせて
悪だくみをめぐらしていたそうな。

「イマドキの医者」は怠惰や無精や不器用で役に立たない
者が「医者ニデモナラウ」と思ってなった「デモ医者」である
と国学者の平田篤胤(1776~1843)が「志都能石屋講本」
という書物に残している。

当時は医師の養成制度も資格認定試験もなく、成分が定か
でない秘伝薬や万能薬が売られていた。これを一粒飲めば、
万病もたちどころに治るという怪しい丸薬や、どんな人で
も毛が生える薬といった誇大広告に注意するようにという
お上からのお達しもあったぐらいだから、相当ひどかった
んだろうね。

実力がないのに羽振りが良く裕福な「福医」達を、医者の
名を借りて栄利(名誉とお金)を貪る「医賊」であると痛烈
に批判した医者もいた。医賊は盗賊よりタチが悪いかも。

医学書を読み飛ばしただけで、医術を会得しないまま、
一生を終わる医者や治療の必要もない軽症の患者だけを
引き受けて、命の危険のある患者は他に押しつける医者
など、こういった悪質な医者の例を具体的に上げながら、
全16ヶ条にわたって、後進の医者達を戒めた「医家初訓」
は現代でも十分通用すると思う。

そんな中、大阪に出張中の太極拳のS先生から“「医は
仁術か算術か」、はたまた「ヒーリングは仁術か算術か」
な~んて事をふと考えていた今日この頃でありました”
というMailが届いた。

ヒーリングを専業にやっている人なら、仁術はもちろん
だが、ある程度、算術の面も考えないと、生活できない
だろうし、本当に難しいところだよね。

現代なら、デモ医者ならぬデモヒーラーという事に
なるんだろうか? とはいえ、本物のヒーラーと
デモヒーラーとの違いは? どこで線引きをする
のか? それこそ十人十色だろう。

私も知らぬ間に“デモ”にならぬよう、日頃から
戒めねば。ご用心ご用心。
20080413
♪この「桃華(とうか)楽堂」は1966年、香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂。建物の屋根は「テッセン」の花を模し、八角の外壁は華やかな陶片とタイルで彩られている。陶片には有田焼、信楽焼などが用いられており、玄関正面の屋根の上には、鬼瓦の代わりとして金色の雛人形が飾られている。皇后のお印「桃」にちなんで命名されたんだとか。

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